闇者は其の文を守る
2024年01月18日
明者は其の理を貴び闇者は其の文を守る。
前回、日寛上人を取り上げましたが、言いたかったのは、こういうこと。
日寛上人だったのか。
まさか御自分の著作の言い訳に使われているとは思わなかった。
理を貴ぶです。
日蓮正宗だから理よりも事だと言い出すと混乱する。
理を貴ぶは、道理の理だろうけど。
理よりも事というのは、理を大事にして事に行ずるということでしょう。
理よりも事のほうが優れてるってことじゃない。
さて、こうなると御書にあるからというのは通用しないということです。
撰時抄に「予が分斉として、弘法大師・慈覚大師・善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵なんどを「法華経の強敵なり。経文まことならば無間地獄は疑いなし」なんど申す」とあります。
これをそのまま、弘法大師は地獄に落ちているとやっちゃうと、失敗でしょう。
無間地獄とは何なのか。
そういう世界があるのか。
宗祖は、瞋るは地獄とおっしゃってるから地獄という世界があるという認識ではないでしょう。
お世話になってる御僧侶から、地獄とは後悔とか、そういうものだと教わった記憶が。
だから反省のない人はどんどん罪を犯す。
そして自分の犯した罪に気が付いたとき深く深く後悔する。
それが無間地獄でしょう。
先の文章は、弘法大師よりも自分の主張のほうが人を救うことができるという自負ではないかと思います。