重須殿女房御返事(十字御書)

2021年01月11日

正月といえば十字御書(むしもちごしょ)です。とても分かりやすい内容だと思います。女性宛だからでしょうか。。南条時光(上野殿)のお姉さんだそうです。拝読したり聴聞する方は多いことでしょう。

その内容は。。

「抑地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば・或は地の下と申す経文もあり・或は西方等と申す経も候、しかれども委細にたづね候へば我等が五尺の身の内に候とみへて候」

「わざわいは口より出でて身をやぶる・さいわいは心よりいでて我をかざる」

「法華経をかたきとする人の国は体に・かげのそうがごとく・わざわい来るべし、法華経を信ずる人は・せんだんに・かをばしさのそなえたるがごとし」

地獄も極楽もそういう世界があるわけじゃないですよ。我々の日常生活にあるんですよ。不用意に口から出た言葉で自ら地獄の境涯を感じることもあるでしょうし、心がけによって幸せを感じることもあるでしょう。法華経を信じない人の国には災いがもたらされるし信じる人は福がまさるようです。

こんな感じでしょうか。

「法華経をかたきとする人」ではなく「法華経をかたきとする人の国」です。なんと申しますか、他人に対して「地獄へ落ちるぞ」というのを遠慮しているような表現です。また、国というのは組織と理解してもいいのでは。

「法華経をかたきとする」「法華経を信じる」とは、日常生活ではどのようなことなのか。よくよく考える必要があるでしょう。自分は信心しているから信じてる。あの人は信心してないから信じてない。組織が違うから信じてない人だ。という単純なことではないと思います。

法華経の特徴は、提婆達多(ダイバダッタ)、二乗(声聞と縁覚)、女性の成仏です。地獄に落ちたという提婆達多。開目抄に「利他の行欠けぬ」とあり、成仏できなかった二乗。女性は端から成仏の対象ではなかった。。

それが成仏できるとはどういうことなのか。

地獄の世界があるわけじゃない。仏の(極楽)世界があるわけじゃない。この世で生きていくものが、生きたまま(日常生活)で地獄に落ちる(提婆達多)こともあるし生きたまま仏の境涯を得ることもあるということでしょう。

折伏だ折伏だと煽ったり、ノルマに追われたりするのは、生きたまま地獄に落ちていると思いますけどね。所属が違う人に「地獄に落ちるぞ」と凄むのもやめてほしい。

寺報1991年10月号「衣座室御書」には、大聖人の教えを信じ、大聖人の教えに随順して生きていこうと願う人は「日蓮がごとくに」生きていかねばならない。とあります。それは、迷いの衆生と「共に生きよう」ということだと。

地獄に落ちている人がいれば救っていく。地獄の世界へ行っちゃってたら救えないけど。。隣りにいるんです。日常生活で地獄に落ちているから救うことができる。共に生きていこうとする。そういう思いの人が増えていくのが広宣流布です。信者数が増えても、自分の願いを叶えようという人ばかりでは。。自戒。自利利他。

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