象徴
引き続き、顕正会批判です。←好きだねえ。
宮内庁次長が退官しました。
天皇、皇族方について。
「天皇皇后両陛下、上皇上皇后両陛下お始め皇室の皆様方が国民に寄り添い、国民のために心を込めてお務めをなさる」、「上皇上皇后両陛下がずっと国民のために尽くされる姿が伝わっていて、地域の住民達からもそういう様子が見られ、それを両陛下が受け止めて、皇室と国民の間での心の通い合いがあった」。
阡陌陟記の前書きです。
「今回、阡陌陟記を広く世に問うにあたって、その序を改めることにしたい。丁度、天皇の御即位の御大礼を眼のあたりにすることが出来たので、常に記している師弟子の法門、その他己心の一念三千法門及びそこにある開目抄等に示されている文底秘沈の語に含まれるものについては、今は身延説に随従してそれを受け、一切邪義と決める以外には認めないようである。そこに含まれた平和そのものも一切認めないようである。実際に天皇の御言葉そのものは、開目抄や本尊抄に含まれているものとそれ程変りはなかったようで、そこに含まれているものは師弟子の法門そのものであり、表徴天皇という語が新聞紙上に出ていたようであるが、反って悪しく理解されているように思われる節があった。そこに含まれた文底秘沈の己心の一念三千法門の師弟子の法門を説き出されているもののようであった。そこにあるものは既に以前アメリカもそこから平和を感得していたものである。それを再びとり出した創価学会の名誉会長の論文は平和賞をもらったことがある。昭和天皇の御心を心として等と仰せのあたりにはたしかに師弟子の法門が秘められているようであり、それが根本におかれているようであった。それを根本の法として天皇という御名号は成り立っているようである。その法に仮りに人格・神格を附与して出来たのが天皇という現人神ではないかと思われる。半分は国民であり、また衆生であるようである。また国民の心を導く法力は案外天皇ということになっているのかも知れない。」。
さて、何が言いたいのか。
こういう姿を顕正会が見せているのかということ。
顕正会館の近所の方とはトラブルになったら困るので愛想よくする、掃除もする。(昔、板橋にあった本部の周辺は犬の糞だらけで閉口した)
けれど、折伏に行ったら「地獄に落ちる」やら「謗法だ謗法だ」、「顕正会員は災害でも助かる」など。言いたい放題。
これで信頼を築けましょうか。
こんなことをしていても敵をつくるだけで一国広布なんて夢のまた夢でしょう。
そして自分の生活を犠牲にして活動するのが功徳を積んでいると勘違いしている。
御自分の生活を顧みて反省する点はないですか。
しんどいことないですか。
顕正会は人を疲弊させる。
自分も他人も。
やめたほうが身のためですよ。
バチなんてありません。
顕正会活動をしている人こそ罰の姿がでているように見えると申し上げておきます。
自分勝手なことをしているからですよ。