謗法

2024年03月31日

リンク先に書いた記憶があるけど、顕正会時代は謗法謗法とやかましかった

あれは謗法これも謗法と。

神社や寺だけじゃなくて人も。

顕正会員じゃなければまともな人間じゃないという意識。

あれ(あの人)は謗法(者)だから。

このところ謗法とは何ぞやと気になっていた。

謗法とは誹謗正法らしいけれど。

正法とはなにか。

なにが正法なのか。

なにを正法と信じるかは、自分自身が判断することで。

仏教だけでもたくさんのお経(教え)があるけれど、どれを選ぶかは理屈をつけて自分が選んでる。

みんながみんな法華経を選んでるわけじゃないでしょ。

念仏もいれば真言もいる。禅も。

般若心経を唱える人もいる。どんな意味かも知らずに。

で、宗祖は謗法をどういうふうに使っているのかなと気になって。

リンク先のリンク先で検索しました。

謗法だー、と非難するような使い方はしてないなあと。

「日蓮聖人御遺文検索」で検索してみてください。(真蹟、身延期)

謗法は絶望と読み替えてもいいんじゃないか。

法華ごころP257には、「法華経の教え、日蓮大聖人の仏法というのは、「あきらめない思想」であると思う」とあります。

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