読解力

2021年10月27日

宗祖は、立正安国論を作文するのに一切経を閲覧したということです。が、それを読む人はどうでしょう。もちろん、作文は読んだ人が理解できるように書かなければダメですが。。

一切経を閲覧した人と閲覧していない人とでは、立正安国論を拝読しても読解力に差がでるのではないか。理解に差があるのではないか。と思うわけです。

パロディというのも、元ネタを知らない人が読んでもパロディとはわからない。

他に気が付いたこととしては、法華ごころP270に「客殿の奥深くに在(ましま)す」と鍵括弧つきで書かれている箇所がある。これは、大石寺法門P284に「客殿の奥深くまします本尊」と鍵括弧つきで書かれているものを受けたものかなとか。まあ、これは直接読解力とは関係ないか。。

インターネットでいろいろな組織や人が書いたものを読んでも、ハテナ?と思うものが多い。(10月9日の「塔婆」のリンク先のように)

御僧侶の書かれたものを読み返してみると、なるほどなーとか、そういうことかと思うことが多い。(すっかり読んだことを忘れている。。)

なかなか一切経を閲覧するようにはなりませんが、いろいろな人の意見は見て回ろうかなと思っています。

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