色心(しきしん)の二法

2020年11月08日

色は身体で心は文字どおり心ですね。人間は身体と心で成り立っているということです。それで色心の二法。仏教徒だと常識的な考え方です。

一方で、心は脳の働きだと理解する人もいます。この場合は色の一法ですね。

では、どちらが正しいのか。というのは不毛な論議になりそうなので、置いとくとして。。

色の一法だとすると、死んだらハイそれまでよ、なわけです。それではつまらないというか、より良く生きようという意欲もわかないのではないか。自暴自棄になりやすい。

そうするとやはり色心の二法と心得て生きるのが、世のため人のため自分のためではないかと思うわけです。

所属する法華講の初代講頭は、以下のように説明しています。

「南無妙法蓮華経が自分の心法なんだ。それを名づけて妙法蓮華経といっている。そして妙法蓮華経の不可思議なことは、長いものでもなくまん丸いものでもなく、色もついていない、取り出して見せることもできない。そういう不可思議極まりないものが心法なんだ。この心法とは大宇宙法界の生命なんだ。その生命そのものが私たちの物体、身体によってきている。そして色心不二となって私たちは活動している。けれども色法が壊れていく心法が去っていく、これを死という。」

死とは身体の死。心は宇宙に還っていくということです。宇宙に還ると心は一つになるのか、それとも個々別々なのか。霊山浄土という考え方では、別々ですね。

どちらにしても人間は宇宙から生まれた存在です。雨が海に還るように、死とは故郷に還るということでしょう。それが自然というものです。

ただ、「先ず臨終の事を習うて後に他事を習うべし」ということもあります。死ぬのは自然なことだとしても、のほほんとしているわけにはいきません。

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