聖人等御返事
2023年05月27日

リンク先の「戒壇の本尊とは」で、戒壇本尊の成立年月日を考えましたが、お世話になっている任意団体正信会の御僧侶は弘安二年十月十二日説です。写真はその根拠です。(日蓮大聖人の信仰を始めたのが日興上人だから10月12日が正解かな。しかし、宗祖は10月1日の聖人御難事に出世の本懐に言及してるので捨てがたいなあと。。1日が正解とすると母珠をこえるのかもしれません)
なお、日蓮正宗真光山聞仏寺のサイトに掲載されている大日蓮の記事も参考にリンクしておきます。この記者は「下 伯耆房 日蓮」とか知ってるのかなあという気がします。いかがでしょうか。記者は(水島)となっているけど。。川澄勲氏の著作に出てくる水島氏かな。(基本的に僧侶も氏で統一しています。。)「日興が身に宛て給わるところの弘安二年の大御本尊」の文について」
追記
聖人等御返事のタイトルにしましたが、写真では伯耆殿御返事へと続いてるんですよね?だから、新編日蓮大聖人御書全集のP1455に10月17日付の聖人等御返事があって、次ページP1456に10月12日付の伯耆殿御返事があるわけか。でもって、10月1日付の聖人御難事は宗祖の真筆があって、「出世の本懐を遂げた」ということが書かれています。ここが宗祖にとって最高潮なんじゃなかろうか。で、聖人等御返事と伯耆殿御返事は日興上人筆です。真筆あるのかな。この2篇は日蓮宗辞典には載っていません。インターネット検索してもあまり出てこない。