考える葦

2022年03月21日

『パンセ』を読む 第六章 哲学者たち


347人間はひとくきの葦(あし)にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦 である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに 十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものよりも尊いだろう。なぜなら、 彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければ ならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを 努めよう。ここに道徳の原理がある。

348考える葦。私が私の尊厳を求めなければならないのは、空間からではなく、私の考えの規整からである。 私は多くの土地を所有したところで、優(まさ)ることにならないだろう。空間によっては、宇宙は 私をつつみ、一つの点のようにのみこむ。考えることによって、私が宇宙を包む。 


たまたま放送大学を見ていたら面白そうな番組をやっていて。。

"科学"からの招待状『大統合自然史』


ロシアがウクライナに侵攻して強く思うことは。ロシアや中国の報道統制ですかね。都合の悪いニュースは流さない。戦時中ということもあり、何が正しくて何が間違った情報なのか。判別も難しいですが。

知ることができない。ということはまともに考えることもできないということです。

言いたいことも言えないとは、自由に行動できないということです。

かつての大日本帝国もそうでしたが、自由のない生活は人間らしい暮らしなのか。

この戦時下のはずのモスクワで、クリミア併合8周年の式典が開かれましたが。プーチンに熱狂する観衆(動員されたという説もあります)に、他人事ではないと思った日蓮正宗関係者はいるのでしょうか。

正しい信仰とは何か。正しい信心とは何か。これらを考えるには、当たり前ですが正しい情報が必要だなあと。熱狂する観衆は自分たちのことではないかと。他山の石として考えてみませんか。

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