立正安国論

2023年07月02日

自分が日蓮大聖人のことを知ったというか強く意識したのは、高校の倫理・社会(今は現代社会かな)の授業で習ったときだったかな。

日蓮といえば立正安国論。蒙古が襲来して預言が的中した。それぐらいですが。。

当時は立正安国論を読みもしませんでした。

読んだことがないという人も多いでしょう。

立正安国論になにが説かれているのか。出だしだけでも。

「旅客来たりて嘆きて曰わく、近年より近日に至るまで、天変・地夭・飢饉・疫癘、遍く天下に満ち、広く地上に逬る。牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。死を招くの輩既に大半に超え、之れを悲しまざるの族敢へて一人も無し。

 然る間、或は利剣即是の文を専らにして西土教主の名を唱え、或は衆病悉除の願を持ちて東方如来の経を誦し、或は病即消滅、不老不死の詞を仰いで法華真実の妙文を崇め、或は七難即滅、七福即生の句を信じて百座百講の儀を調え、或は秘密真言の教に因って五瓶の水を灑ぎ、或は坐禅入定の儀を全うして空観の月を澄まし、若しくは七鬼神の号を書して千門に押し、若しくは五大力の形を図して万戸に懸け、若しくは天神地祇を拝して四角四堺の祭祀を企て、若しくは万民百姓を哀れみて国主国宰の徳政を行ふ。

 然りと雖も唯肝胆を摧くのみにして弥飢疫に逼り、乞客目に溢れ死人眼に満てり。臥せる屍を観と為し並べる尸を橋と作す。」

客が来て言うには、世の中が乱れて牛や馬、人の亡骸が転がっている。種々の宗教が祈りや儀式を行い、政治家は徳政を行うけれども効果がない、と。

疑問を呈した客に対して主人は、

「主人の曰く、独り此の事を愁ひて胸臆に憤悱す。客来たりて共に嘆く、屡談話を致さん。

 夫れ出家して道に入る者は法に依りて仏を期するなり。而るに今神術も協はず、仏威も験無し。具に当世の体を覿るに、愚かにして後生の疑ひを発す。

 然れば則ち円覆を仰ぎて恨みを吞み、方載に俯して慮りを深くす。倩微管を傾け聊か経文を披きたるに、世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神は国を捨てて相去り、聖人所を辞して還らず。是れを以て魔来たり鬼来たり災起こり難起こる。言はずんばあるべからず、恐れずんばあるべからず。」

正しいものに背いて悪に帰しているからですよと、客を諭していくわけです。

あとは自分で読んでください。

基本的に念仏はダメなんだということですが、なぜダメか。

現実世界から逃避してあの世の極楽世界を志向するから。

地獄も極楽もこの胸の内にありというのが日蓮大聖人のお考えかと。

世の中ではない。まず自分なんだと。

立正安国論で批判されているのは宗教だけでなく政治もです。

客と主人の問答形式ですが、最後、客の言葉で締めくくられます。

客の言葉で用いても良いのはこの最後の部分だけです。

立正安国論にあるからといっても客の言葉に引っ掛からないようにしてください。

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