立正安国
2022年09月24日
「旅客来たりて嘆きて曰く、近年より近日に至るまで、天変・地夭・飢饉・疫癘、遍く天下に満ち、広く地上に迸る。牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。死を招くの輩既に大半に超え、之れを悲しまざるの族敢へて一人も無し。」正信会教学部の日々命訓より
こんな世の中で成仏はできるのか。
あるいは軍隊がやってきて街をめちゃくちゃに破壊する。
いつ死ぬかわからない状況で成仏は可能なのか。
その答えはここにあります。
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば、身は是れ安全にして、心は是れ禅定ならん。此の詞此の言、信ずべく崇むべし。」
折伏しろとか、広宣流布しろとはなっていませんね。
仏法には非情な面があると思う。
みんな仲良く信心に励みましょうというのは仏法の信仰とは違う気がする。
だから組織にもなじまないような。。
所詮一人だ。
冥途の道も一人。
ここでもまず個人に焦点が当てられています。
覚悟が求められている。
本人が信仰の寸心を改めると、そこはそのまま宝土だということです。
地震だろうが飢餓だろうが病気だろうが戦争だろうが関係なくなる。
ということでしょう。
これは空想の世界に逃避することではない。
現実の世界はもう相手にしていない。
熱原の三人衆のように途中で倒れるかもしれない。
けれども南無妙法蓮華経と唱え続けた。
そこに成仏を見ているわけでしょう。
信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰すと三界は皆仏国になる。
現実の世界がどうあろうと成仏できるということでしょう。
熱原の三人衆のように。
首を切られて成仏かと思うかもしれませんが。。
立正安国論の頃から己心に重点は置かれていたということかな。