神頼み
2021年02月15日
御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えるのと神頼みは何が違うのか。
神頼みは自分というものがない。自分の欲望がそこにはあるだけ。こうなってほしいとか。願いが叶いますようにとか。他者の力に頼っている。
仏法は自分というものをしっかりと据えている。見据えている。そして行住座臥に修行ですよといわれている。願いがあるのなら願いが叶う自分になるよう努力する。道理にあった行動をとる。自分を変えていくことができるから願いが叶う。叶わなくても、すべて日蓮大聖人のお計らいだと、まだ時が来てないのかなあと、何の屈託もなく進んでいける。
仏法では功徳というけれど、いいことがありました=功徳、じゃない。何があっても功徳ととれる自分になる。これは、そう思え、思い込めということではない。南無妙法蓮華経は仏の智慧なんだから、南無妙法蓮華経と唱えながら生活することは仏の智慧をいただきながら生活すること。うまくいこうがいくまいが、日々反省し自分自身が変わっていくことが功徳。周りや物によってではなく、自分自身が功徳を感じられる自分であるかどうかが問題。