神も仏も自身の内に
2023年10月13日
ここに書くことは整理してトップページに載せる必要があるかなと思います。
日蓮大聖人の御書を拝読していると、神も仏も自分自身の内に存在するんだと主張されていることに気がつきます。
崇峻天皇御書「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞いにて候いけるぞ」
諌暁八幡抄「今、八幡大菩薩は、本地は月氏の不妄語の法華経を、迹に日本国にして正直の二字となして賢人の頂にやどらんと云々。もししからば、この大菩薩は宝殿をやきて天にのぼり給うとも、法華経の行者日本国に有るならば、その所に栖み給うべし」
どこか別のところに神や仏がいて、それを拝むのは日蓮大聖人が目指した信仰ではないでしょう。
ヤハウェ、唯一絶対神なんてのも自身の内に存在しないと意味がないと思うけどなあ。
ユダヤ教徒にとっては驚天動地かもしれないけど。
唯一絶対神は、人間のことなど関心もないでしょう。
眼中にない。
仏もそうです。
悟ってしまった仏は、人間とは無関係の存在です。
仏は何もしてくれません。
仏の教えを広めるのは菩薩です。
唯一絶対神や悟った仏は、人間と接点を持っていません。
であるならば、信じる人間自身の内に神や仏が存在しないと無意味です。
どこか別のところに神や仏がいるというのは信仰として成り立たないんじゃなかろうか。
これは人間が唯一絶対神や悟りを開くのを目指すというのではありません。
法華経に説かれる人間界の仏界を目指すわけです。
それが、人の振る舞いであり、賢人の頂にやどる、ということでしょう。
すべての人に神や仏を認めると殺人や強盗なんてなくなると思います。