2023年06月25日

2023年5月第101号妙徳院だより(己心の法門)に一生成仏抄(真蹟なし)の「仏教を習ふといへども、心性を観ぜざれば全く生死を離るる事なきなり」を引いて、仏様や御本尊様は、自分自身の心の中にしか存在しないとあります。

いま、教育テレビの、シリーズ宮沢賢治久遠の宇宙に生きる(2)「春」と「修羅」のはざまで、を見ながら打ってるんですけど、「どんぐりと山猫」なんて面白いですね。

そういうもろもろの影響を受けながら考えているんですが。。

さて、天皇皇后両陛下がインドネシアを訪問しました。テレビニュースでは歓待するジョコ大統領が出てきましたが、何かと手を合わせる姿が印象的でした。

上座部仏教の国では手を合わせるのが挨拶というか、よく見かけますが。

インドネシアはイスラムの国でジョコ大統領もイスラム教徒のようです。イスラム教徒も手を合わせるのかな。

そこで、宗祖日蓮大聖人に立ち返るんですが、宗祖は阿仏房や四条金吾に宝塔や仏をみています(法華ごころP168、P190)。

そうすると宗祖も人に向かって合掌していたんじゃなかろうか。(心の中で合掌していたのは間違いないと思うんだけど。。)

不軽菩薩は一切衆生を礼拝したし。

釈尊もすべての人を尊敬した(ヤンキーと住職)。

ちなみに自分は子供のころ少林寺拳法を習っていましたが、挨拶は合掌礼です。

自分の父親もありがとうのときには相手に手を合わせていたような。。

自分は相手に合掌するのに抵抗がない。

日蓮大聖人の信仰をする組織の僧俗は挨拶のときに合掌したらと思うんですよね。

組織が違っても少しは仲良くやれるようになるんじゃないかなあ。

いかがでしょう。

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