生老病死
子供が、今度は潰瘍性大腸炎らしく。。
下痢や血便が続く。
左手を骨折したりと、800年前の誰かを家で預かっている気分です。
潰瘍性大腸炎といえば、安部元首相で有名ですが。
まあ、自民党に投票したこともなく、安部元首相の手法も疑問だったので、病気だと聞いても大変だなあと思いつつ「ざまあ」と思ったような思わないような。。
罪障ですかね。
ここで思い出すのが初代講頭の言葉。
「過去の業報によって自分が痛めつけられる。子供が子供がと言ってもそれは自分の業報なの。人によって(業報の)姿を見せられる。親の介護をする。周りからは大変ですね、親孝行ですねと言われても、それは親が自分の業報を示している。やる限りにおいては楽しくやったらいい。にこやかに。そして業報を乗り切ればいい。人に託して(業報が)見えてくる。大聖人は人と人との関係は鏡の如しと仰られる。業報だけは逃れようがない」
潰瘍性大腸炎は原因不明で治らないといわれています。
症状がでたり寛解したりを繰り返す。らしい。
それでも今は薬がある。
病院がある。
鎌倉時代はどうだったんだろうと思う。
病気になっても、庶民はひたすら我慢するしかなかったんだろうか。
宗祖は四條金吾から薬をもらっていますが。
今の時代でも血便が続くと、命に係わるんじゃないかと思ってしまう。
南条七郎五郎は若くして亡くなってるし。
当時は病をどうとらえていたんだろうか。
生まれてすぐ死ぬ子もいただろうし、病気で死ぬのも身近だったろう。
死とは隣り合わせ。
生老病死じゃなくて生病死かな。
どうも現代人と鎌倉時代の人では、生老病死のとらえ方が違うのではないか。
宗祖の御書も、鎌倉時代に身を置いて拝読する必要がありはしないかと。
現代に身を置いたまま御書を拝読するのはありやナシや。
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鎌倉時代とは情報や移動の量、スピードも違いますね。
宗祖と同じことをしようとしても無理があるかも。
体が二つあったら政治に関心を持ち、三つあったら信者の人生相談に乗る。
このくらいでいいのかな。
処理スピードも上がってるか。
まあ、無理のない範囲で。