現証
2022年12月09日
いまの日蓮正宗系組織が盛んにいうところは「現証」「功徳」ですよね。
現証がでた。
功徳だと。
これは、ご利益のことですが。。
さて、これは日蓮大聖人の御真意なのか。と思うわけですよ。
信仰とは良いことが起こることでしょうか。
信心とは良いことを起こすこと?
???
その宗教を信じて、その人がどう変わったかが信仰でしょう。
その人の信心でしょう。
その人の身に何が起こったかではなく。
治った、助かった、儲かった、というのは功徳のようですが、その人そのものには直接関係ありません。
その人が変わることによって、治った、助かった、儲かった、ということはあるかもしれませんが。。
よく諌暁八幡抄を参照しますが、
「涅槃経に云わく「一切衆生の異の苦を受くるは、ことごとくこれ如来一人の苦なり」等云々。日蓮云わく、一切衆生の同一苦は、ことごとくこれ日蓮一人の苦なりと申すべし。」
これが現証であり功徳だと思うわけです。
宗祖は、一切衆生の苦を自身の苦と受け止められる自分に変わったわけです。(如来(仏)は悟っているので衆生の苦は理解できない。だから異の苦)
そして、弟子には、
「仏は法華経謗法の者を治し給わず。在世には無きゆえに。末法には一乗の強敵充満すべし。不軽菩薩の利益これなり。各々我が弟子等、はげませ給え、はげませ給え。」
と勧めるわけです。
「不軽菩薩の利益」が、治った、助かった、儲かった、ではないことはご承知のとおりです。
一切衆生を仏として敬う。
これが不軽菩薩の利益でしょう。
みなさん実践していることでしょう。。