滅後末法と己心2
ここでは釈尊(お釈迦様)の教えを仏教。釈尊を仏。日蓮の法を仏法。日蓮を本仏と呼びます。
人類史上の釈尊仏教。そして個人史上(己心)の日蓮仏法。なのかなーと。
人類史上の正法、像法、末法。個人史上(己心)の正法、像法、末法。とあるのではないかと。
個人(己心)は悟ってないのだから末法でしょ。常に。
ところが法華経で提婆達多は天王如来という記別を受けました。竜女しかり。二乗しかり。すべての人が成仏すると。
そうなると個人(己心)の数だけ仏がいることになっちゃう。個人(己心)が自己主張して暴走するかも知れない。これはマズイ。
そういうわけで仏法では日蓮を本仏とした。
人類史上の仏教を受け継ぐ者は、法華経の行者日蓮。
個人史上(己心)の本仏としては申し分ない。
しかもこれで仏教と仏法の連結ができた。
そういうわけで日蓮大聖人とは個人史上(己心)の御本仏。
人類史上の仏と錯覚したら混線してグチャグチャになっちゃう。
でグチャグチャ状態なのが、いまの日蓮正宗かと。
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観心本尊抄「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり。仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず。所化以て同体なり。 此れ即ち己心の三千具足、三種の世間なり。」とあります。
個人(己心)は悟ってないのだから末法でしょ。常に。
と書いたのは滅後末法のこと。個人(己心)のこと。
「仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず。所化以て同体なり。」仏をどこかに求める必要はない。
「常住の浄土」なのに末法とはこれいかに、と思う人もいるかも知れませんが。。
滅後末法(己心)のことなので三災や四劫の影響を受けない。
「本時」は個人史上(己心)のこと。見渡しても仏はいない。だから「本仏」を勧請する必要がある。
それが御本仏日蓮大聖人です。
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そう受け止めたのが日興上人。
これが日蓮日興。
師弟子の法門。
でもって、くっついちゃってるから、日蓮自分というのはなしね。ということになる。(日蓮大聖人直結の信心ですというのが、いかにトンチンカンか。。日興上人はどこへ。。。)
やるとすれば、日目自分かな。
だから一閻浮提之御座主。
と理解しています。
まあ、現実的には末寺の御僧侶でしょう。
僧侶自分。
で僧侶が狂ってると自分も狂う覚悟は必要かなと。
〇〇先生とかも。
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以前、仏法には非情な面があると書いたけれど、自分がしっかりしないと(真実は)何もつかめない。
組織に言われるがまま信心するおかしさはここにある。
組織が右向け右なら自分も右向け右。
これでは組織が主で自分が従。
組織が信心している。
仏法は自分が主になるものではないのかな。
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いまだに大石寺では折伏折伏とやってるようですが。
日辰教学じゃないですか。
日辰の広宣流布です。。
日興上人どこ行った。。。