法華経の行者日蓮

2021年05月26日

昨年、宗教法人正信会のサイトを初めて目にしたときに感じた違和感。

それは「法華経の行者である日蓮大聖人」という言葉でした。単に馴染みのない言葉だったから受け付けなかったのか。ちょっと考えてみたい。

創価学会の御書検索で「法華経の行者日蓮」を検索すると、「富木尼御前御返事」の1件しか出てこない。あまりポピュラーな語ではなかったのか。。

この言葉の前には「日本国の一切衆生の父母となる」とある。主師親の三徳を省略して表していると考えられないだろうか。つまり「法華経の行者日蓮」とは本尊のこと。「南無妙法蓮華経日蓮」と同じ扱い。

だから、法華経の行者と日蓮は離れてはならない。「法華経の行者日蓮」で一つのもの。よって「法華経の行者である日蓮大聖人」という言葉に違和感を覚えたんだろうというのが結論。

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