法四依
2024年01月14日
いま、ちょろちょろと六巻抄や日寛上人文段集を拝読してるんですけどね。
むかし中古本を買って大事に大事にしまっておいたものです。
やっと日の目を見た。
しかし、読んでも難しい。
感想としては、白を黒と言いくるめる、ではないですが、筆者の言いたいことがあって、その結論に向けて文章を引いたり、釈明したりするのではないかと。(お世話になっている御僧侶からは、大石寺が衰退していた頃だから大げさに書かれているということを聞いたことがあるような)
さて、本によるのではなく、依義不依語、依智不依識 、依了義経不依不了義経 、依法不依人がしっくりくるというか、大事かなあと。
法華ごころに、法華経非仏説に対して、法華経を仏の眼目といってどこ憚ることがあろうかと、ありましたが。
同じ感じ。
結局、人は自分の主観で判断するもののようです。
だから日蓮大聖人があれば日蓮上人もあり、日蓮正宗があれば日蓮宗もある。
日蓮大聖人の仏法は常識で判断するのが肝要かと思います。
御書にこうあるじゃなくて、聞いた人が納得できるような論を展開しないと。
顕正会や大石寺のように地震が起こった原因が謗法にあるとか。
みんなが日蓮大聖人の信仰をしたら地震はなくなるんですか?
トンデモ説は御免被りたいものです。