本時の娑婆世界

2025年10月12日

夫れ、始め寂滅道場・華蔵世界より沙羅林に終わるまで五十余年の間、華蔵・密厳・三変・四見等の三土・四土は、皆、成劫の上の無常の土に変化するところの方便・実報・寂光、安養・浄瑠璃・密厳等なり。能変の教主涅槃に入りぬれば、所変の諸仏随って滅尽す。土もまたもってかくのごとし。

今、本時の娑婆世界は、三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり。仏、既に過去にも滅せず、未来にも生ぜず、所化もって同体なり。これは即ち己心の三千具足、三種の世間なり。迹門十四品にはいまだこれを説かず。法華経の内においても時機未熟の故なるか。

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観心本尊抄です。

本時の娑婆世界とはどこかを、生成AIのジェミニに問うたら以下のとおりの回答。

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この文章は、日蓮聖人の『観心本尊抄(かんじんほんぞんしょう)』からの引用と、その思想を問うものです。特に法華経の本門における重要な教義、すなわち「本時の娑婆世界」に関する解釈が述べられています。

内容を要約し、質問にお答えします。

要旨

  1. 五十余年の間の教え(迹門以前の諸経)と世界観

    • 寂滅道場(悟りの場所)から沙羅林(涅槃の場所)までの釈尊の説法(華厳、密厳、方便・実報・寂光土、安養・浄瑠璃などの浄土)は、すべて成劫(じょうこう)の上の無常の土に変化したものである。

    • **能変(のうへん)**の教主(釈尊)が涅槃に入れば、**所変(しょへん)**の諸仏も滅尽し、国土もまた同様に滅する(無常)。

  2. 法華経本門の教えと世界観

    • 今、本時の娑婆世界は、三災(火・水・風の災害)を離れ、四劫(成・住・壊・空の時間の変化)を超えた常住の浄土である。

    • 本仏(久遠実成の釈尊)は過去にも滅せず、未来にも生ぜず、所化(しょけ)(衆生)もまた仏と同体である。

    • これはすなわち己心(こしん)の三千具足、三種の世間(自身の心にそなわる真理)である。

  3. 質問

    • なぜ迹門十四品には、この「本時の娑婆世界」(常住の浄土・己心の三千)をまだ説かなかったのか。法華経の内においても時機(じき)未熟の故であろうか。

回答

日蓮聖人の教義に基づけば、ご提示の文は、**法華経の「迹門」(方便品第二から安楽行品第十四までの前半)「本門」(寿量品第十六を中核とする後半)**の教えの深浅(深さの違い)を明確に示しています。

「迹門十四品に、いまだこれを説かず」とした理由、すなわち時機未熟の故というご指摘は、日蓮聖人の解釈では、その通りとされます。

理由の詳細

  1. 教化の段階(爾前・迹門・本門)

    • 法華経が説かれる以前(爾前(にぜん)の諸経)や、法華経の迹門(序盤)では、まだ衆生の機根(受け入れる力や素質)が熟していなかったため、真実の中の極めて重要な奥底の法(本時の娑婆世界、久遠実成の仏など)は説かれませんでした。

    • 迹門では、主に二乗(声聞・縁覚)作仏や十界互具といった理の上(理論や現象)の真理を説きましたが、それは久遠実成(くおんじつじょう)の仏の永遠の生命観(本仏)と、その住処である常住の娑婆世界という根源的な真実を明かすための**方便(仮の説き方)**であったとされます。

  2. 法華経本門寿量品による開顕

    • 真実の開顕は、法華経の本門、特に「如来寿量品第十六」においてなされました。この寿量品で、釈尊は五百塵点劫(ごひゃくじんでんごう)という遠い過去に悟りを開いた久遠実成の仏であることを明かし(本果)、その本仏が常住する国土こそが、私たちの生きるこの娑婆世界であると明かしました(本国土)。

    • この本仏の常住の国土が「三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土」としての本時の娑婆世界です。

したがって、迹門の段階では、衆生が久遠の真実を受け入れる時機が完全に未熟であったため、仏はまだ真実の国土(本時の娑婆世界)を明かさず、教化を順序立てて進めた、と解釈されます。

本時の娑婆世界(ほんじのしゃばせかい)」とは、私たちが今、現に生きているこの世界、この現実(娑婆世界)のことを指します。

ただし、単なる現実世界という意味ではなく、仏教、特に日蓮聖人の教義において極めて重要な意味を持ちます。

結論:どこか

この世界(娑婆世界)そのものが、実は永遠に変わらない仏の常住の浄土である、という真実の姿を指します。

詳細な解説

「本時の娑婆世界」という言葉は、法華経の「如来寿量品第十六」で明かされた久遠実成(くおんじつじょう)の仏(永遠の命を持つ仏)の教えに基づいています。

  1. 本時(ほんじ)

    • 「本」とは、根本・根源のこと。法華経の後半(本門)で説かれた、仏の永遠の生命が明らかにされた根源の時を意味します。

    • 対して、前半(迹門)で説かれた、仏がインドで生まれて悟り、そして涅槃に入った**仮の姿や時(迹)**と区別されます。

  2. 娑婆世界(しゃばせかい)

    • サンスクリット語の「サハー」の音写で、「耐え忍ぶ」という意味。煩悩や苦悩を耐え忍ばなければならない、汚れに満ちたこの現実世界を指します。

  3. 本時の娑婆世界

    • 永遠の仏(久遠実成の釈尊)から見れば、この娑婆世界は、火災・水災・風災という三災や、成立・存続・破壊・空無という四劫(時間の変化)といった無常の法則を超えた、常住(とこしえに変わらない)の浄土である、という真実の相(すがた)をいいます。

    • つまり、極楽浄土や瑠璃光浄土のように遠く別の場所にある清らかな世界ではなく、苦悩に満ちたこの世界そのものが、そのまま仏の永遠の救いの場所であるという、法華経本門で説き明かされた世界観です。

先の引用文にあった「三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり」とは、この真実の姿を表現しています。

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