末法とは
2022年10月15日
このところ、「末法」にも注目してますが。。
お釈迦様が存在した。釈尊が存在した。大覚世尊が存在した。阿弥陀仏が存在した。薬師仏が存在した。毘盧遮那仏が存在した。
といっても入滅してしまえば、もちろんいない。
同じ時代に生まれても、住んでるところが違えばいないのと同じ。
仏が説いた経を頼りにしても、仏はいない。
そうなると、即末法じゃん。
正法、像法、末法は関係ない。
いつの時代でも(時代を超えて)通用する法が、末法の法だ。
観心本尊抄の「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり。仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず。所化以て同体なり。 此れ即ち己心の三千具足、三種の世間なり。」 。
これは、仏が存在しない無仏の世にあって、仏を頼らないと宣言したものでしょう。(もしくは仏は己心に存在する。つまり「本仏」)
宗祖が生み出した(発見した)仏法です。
仏を頼らないというのに宗祖を頼るのはおかしい。
参考にするのは分かるけど。。
宗祖を仏様のように崇め奉るのはおかしい。
尊敬するのは分かるけど。(違いが分かるでしょうか)