曼荼羅2

2022年09月18日

ちょろっとネット検索してみたわけです。曼荼羅について。

「南無妙法蓮華経とは」では、まだ検索してなかったけど。

宗祖は六老僧に曼荼羅を書くことを勧めたのか。

これは勧めなかったということでいいですよね。

勧めたのであれば「南無妙法蓮華経日蓮」の曼荼羅しか残ってないだろうし。

宗祖以外の最初の曼荼羅は宗祖滅後という資料もあった。

そうなると曼荼羅を書写するのは宗祖滅後その弟子の六老僧?が勝手に始めたことだと。

富士一跡門徒存知の事に戻ります。 

一、本尊の事四箇条

 一、五人一同に云く、~中略~、仍つて聖人御筆の本尊に於ては彼の仏像の後面に懸け奉り又は堂舎の廊に之を捨て置く。

 日興が云く、聖人御立の法門に於ては全く絵像・木像の仏・菩薩を以て本尊と為さず、唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為す可しと即ち御自筆の本尊是なり。 

 一、上の如く一同に此の本尊を忽緒し奉るの間・或は曼荼羅なりと云つて死人を覆うて葬る輩も有り、或は又沽却する族も有り、此くの如く軽賤する間・多分は以て失せ畢んぬ。

 日興が云く、此の御筆の御本尊は是れ一閻浮提に未だ流布せず正像末に未だ弘通せざる本尊なり、然れば則ち日興門徒の所持の輩に於ては左右無く子孫にも譲り弟子等にも付嘱すべからず、同一所に安置し奉り六人一同に守護し奉る可し、是れ偏に広宣流布の時・本化国主御尋有らん期まで深く敬重し奉る可し。

「此の御筆の御本尊は、~中略~、日興門徒の所持の輩に於ては、~中略~、同一所に安置し奉り六人一同に守護し奉る可し、」とは。どう理解すればいいんでしょう。(この六人とは日興上人の弟子ですよね。)宗祖は弟子たちに自筆の本尊を授与したのに、日興上人はそれを取り上げて同一所に安置しろということでしょうか。本当に取り上げたのか。同一所に安置したのか。自分のものでもないのに取り上げるということはあり得ない話だと思います。そうなると「唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為す可し」です。御自筆の本尊の話のようで、目に見えない妙法蓮華経の本尊のことかなと。日興上人は曼荼羅とは表現してないですよね。それに宗祖自筆の本尊を同一所に安置するのに、日興上人が書写した御本尊は弟子たちに与えるというのは理屈が通りません。宗祖はスーパー御本仏だから、宗祖御自筆の御本尊にはスーパーな何かがあるから同一所に安置するんだと思っている人はいませんか?それはお菓子×おかしな人たちです。甘い。それでは日興門徒所持だけでなく、すべての宗祖自筆の本尊を集めて回る必要がありませんか?日興聖人の御遺命。真筆御本尊を集めるのが日蓮正宗の使命だと現在も走り回っているはずです。本門寺建立よりも大事かも。(この本門寺も己心と思っていますが。。)

物体、目に見えるものの話だと思っていたら失敗します。(死ぬときは物体や目に見えるものの価値はない。臨終やあの世に持っていけるのは己心の法でしょう)

続いて。

 一、追加八箇条。

 近年以来日興所立の義を盗み取り己が義と為す輩出来する由緒条条の事。

日興所立の義です。

聖人御立の法門ではありません。日蓮大聖人仰せのままの信心ではありません。日蓮大聖人直結の信心でもありません。

日興所立の義を追求していくのが日蓮正宗の使命かと。

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