教主釈尊を捨てた日
諌暁八幡抄の末文。「天竺国をば月氏国と申すは仏の出現し給うべき名なり、扶桑国をば日本国と申すあに聖人出で給わざらむ、月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月に勝れり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり、仏は法華経謗法の者を治し給はず在世には無きゆへに、末法には一乗の強敵充満すべし不軽菩薩の利益此れなり、各各我が弟子等はげませ給へはげませ給へ」
この宣言によって、日蓮大聖人は教主釈尊を捨てたのでしょう。はっきり捨てたと書くわけにはいかないけれど。。月氏の仏法、日本の仏法というからには別物でしょう。この日本の仏法の創始者である「聖人」は自分だと。
そして、不軽菩薩が登場。修行方法は不軽の折伏だぞとの念押しです。法を不軽菩薩から受け取ったという意味もあるのかな。
日興上人は、お手紙の中で日蓮大聖人を「法花聖人」「仏聖人」などとお呼びしているようですが、こういう御文から来ているのでしょうか。(日興上人が、諌暁八幡抄を読んでいたのかどうか。。)
上記掲載文の前には、「今八幡大菩薩は本地は月支の不妄語の法華経を迹に日本国にして正直の二字となして賢人の頂きにやどらんと云云、若し爾らば此の大菩薩は宝殿をやきて天にのぼり給うとも法華経の行者・日本国に有るならば其の所に栖み給うべし。
法華経の第五に云く諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護す、経文の如くんば南無妙法蓮華経と申す人をば大梵天・帝釈・日月・四天等・昼夜に守護すべしと見えたり、又第六の巻に云く「或は己身を説き或は他身を説き或は己身を示し或は他身を示し或は己事を示し或は他事を示す」文観音尚三十三身を現じ妙音又三十四身を現じ給ふ教主釈尊何ぞ八幡大菩薩と現じ給はざらんや・天台云く「即是れ形を十界に垂れて種種の像を作す」等云云」とあります。
教主釈尊はいる・いない、八幡大菩薩はいる・いない。どちらにも読めそうです。自分は、一切衆生の中に教主釈尊を見、八幡大菩薩を見るだと思います。「即是れ形を十界に垂れて種種の像を作す」です。
一人一人が、教主釈尊・八幡大菩薩の自覚をもって不軽菩薩の折伏行に邁進してね、ということでしょう。
(なお、諌暁八幡抄には異本があるようです。本当に、研究となると奥が深いというか頭が下がります。)