戒定恵
2024年02月16日
自分にとっての戒定恵とは。
日蓮正宗の信仰が宗祖と不軽菩薩が礼拝しあう姿だと思っているので、そこから外れると戒をたもっているとはいえない。
御書に書かれていても、礼拝しあう姿から外れている言葉であれば、真蹟でも宗祖の本心ではないと判断する。
反対にいうと偽書でも礼拝しあう姿であれば採るということです。
御書については、基本的に真蹟があるもの、日興上人の写本があるものと思っていますが、自分の信心のうえでは、こだわらなくてもいいかなと思ってきました。
軟化ですかねえ。
顕正会時代は、御書に書かれているじゃないかと単純に思っていましたが。
真蹟がなかったような気もする。
日常生活も同じです。
礼拝しあう姿から外れた言動は、信心ではない。
そう生きるのは難しいですが。
そう定めて生活するのが自分の何よりの知恵なんだと信じて生きてみたいですね。
どう変わりますか。