思い込み
泡の力で汚れを落とす洗剤がありますよね。泡はどんな狭いところにも潜り込んで泡の力だけで綺麗にする。だから泡を放っておくと、それだけで綺麗になる。テレビでやってました。「チコちゃんに叱られる!」で見た。それを見たら納得なんですが。。汚れは擦って落とすものだという思い込みがあると泡じゃなくて擦ることで綺麗になるのが常識と思う。泡の力で綺麗にすると書いてあってもゴシゴシが必要だと勝手に思っちゃう。これは法門の解釈にも当てはまる。
聞仏寺のサイトに大日蓮の記事が掲載されています。川澄勲氏(正信会)に反論するものですが、最初に答えありきで考えてるから、読んでも何か変だなあという感想しかない。解釈が浅いと思う。視点がおかしい。狭いと思う。宗門の人が読んだら違和感はないのかもしれない。けど、この記事を読んで違和感がないとしたら困ったことで。この記事から40年経ちますが、40年の間に深化してるでしょうか。物事を考えるときは最初に答えありきではなくて、順序を追って考えて答えを出してほしい。この記事を書いた人は不軽菩薩の行を実践できてないのは明らかでしょ。二十四字だけが不軽菩薩だと思うのは解釈する人が浅いからだと思う。人間ができてきたらもっと深く掘り下げることができる。新しい発見がある。「教弥実位弥下」ということもある。諫暁八幡抄の「不軽菩薩の利益これなり。各々我が弟子等、はげませ給え、はげませ給え」は無視して御法主上人猊下の御指南、庇護にぬくぬくしているという印象しかない。しっぽを振りすぎてどっかちぎれて飛んでいってる。猿から人に進化したなら結構なことですが。こう書くのも不軽の行です。相手を礼拝する時に頭突きを喰らわしているわけです。正気に戻すために。いいわけですが。。宗門の人は今でもこの記事に違和感はないのかなあ。
追伸
大日蓮、大白蓮華。大がつくものは素直に受け取らないほうがいい。日蓮大聖人とか戒壇の大御本尊もよくよく考えないと。拝んだらいいんだ。拝め、になっちゃう。要注意です。大日本帝国とかはいらない。現実世界に大がつくとろくなことはない。日蓮大聖人は現実世界でしょうか?
そういえば大石寺とか池田某も大がつくなあ。やっぱり要注意でしょ。