念仏無間

2021年04月18日

御聖誕800年ということで、寺報に宗祖の御一生が取り上げられています。その中で当時の専修念仏は、法然の「捨閉閣抛」の教えを捨てて、諸宗との共存を果たしていたということです。

立正安国論では法然念仏を主に攻撃していて「捨閉閣抛」も取り上げられていますよね。変質していよいよ民衆に浸透している浄土宗を最大の脅威と考えたのでしょう。その結果が「念仏無間」です。ただこの「念仏無間」。インターネットで検索してもあまりピンとくる解説がないので困ってしまうのですが。。

自身の理解では、なぜ念仏無間なのかといえば、晩年の「十字御書」にあるとおり「抑地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば・或は地の下と申す経文もあり・或は西方等と申す経も候、しかれども委細にたづね候へば我等が五尺の身の内に候とみへて候」に集約されます。念仏は「厭離穢土・欣求浄土」です。今いるこの娑婆世界を嫌って、極楽浄土という天国を夢見る生き方を批判されたのだと思います。

上野殿後家尼御返事の「いきてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり」というわけで、現実世界に軸足を置いた法門でなければならないと思います。死んで天国や極楽に行けますよと教えるのではなく。。

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