徳政
2023年11月02日
御会式も終わりました。
立正安国論に出てくる「徳政」。
国主国宰の徳政を行う、です。
借金を帳消しにする徳政令と思っている方もいるでしょうが。
宗祖は徳政令は知らなかったはずです。
この徳政は、御成敗式目のことだったんですね。
以下を検索して読んでみてください。
「日本国の人口の3分の1が死に絶えた」 鎌倉時代に起きた歴史的な異常事態とは?
(いろいろ検索してみると、国主の国は王で、国宰の国は民とか、宗祖は(天皇ではなく)北条義時以降を国主と是認したとか、国王は天皇で国主は北条執権とか、出てきます。自分としては立正安国論は鎌倉幕府に提出していることもあり、国主国宰で最明寺入道(北条時頼)を指すと理解したい。宗祖は朝廷(天皇)を相手にしているのか、していないのか。調べてもよく分からなかった。宗教法人正信会サイトによれば二祖日興上人は朝廷に申状、3年後に武家へとあります。三祖日目上人は京都への途上没されたのは周知のことです。しかし、宗祖が相手にしたのは鎌倉幕府であって、朝廷(天皇)ではないということは留意したい。追記。ちょいと調べれば分かることでしたが、園城寺申状。真蹟はないそうです。三度諫めて、で身延へ隠遁した宗祖。そこから相手を朝廷に変えて働きかけるかなあ、というのが感想です)