寺報
昔の寺報を読み返してみると、スッカリ忘れてしまっていることばかり。反省。
寺報1991年10月第131号「衣座室御書」には、「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は此の三軌を一念に成就するなり」と説かれ、我々信徒の唱題の心構えを示されておられます。
寺報2004年5月第282号「宝塔について」には、二千二百二十余年の曼荼羅は悟りの世界を現わし、二千二百三十余年の曼荼羅は、二十余年に法華八年を足した年数、つまり上行の本所を現わす曼荼羅である故に弟子の持つ所の本尊というのであります。戒壇の曼荼羅は二十余年となっています。悟りの世界を現わす故に法蔵に秘して遥拝をするのであります。
寺報1992年4月第137号「文字仏」には、大聖人の唱えいだされた題目は法華経如来寿量品の文の底に秘し沈められた南無妙法蓮華経であると私達は申しますが、それは何かと尋ねるならば、誰人をも差別しない「一切衆生」が「存在すること」において尊ばれる世界を意味し、それを一幅の「曼陀羅」として、私達に示し賜ったのであります。そして「衆生(熱原の法華講衆)」の身命にかえる働きによって「末法万年に亘る師弟の成道」を感ぜられ、その世界を「戒壇の大御本尊」として、この世にとどめおかれたのであります。
寺報1992年5月第138号「如是我聞」には、この信仰の受け止め方、これが先日御話申し上げた「文字を仏」と受け止めた、受け止め方にも相当するものであります。
寺報1992年6月第139号「心蓮華」には、ところが、不幸にして創価学会の間違った折伏闘争は成果を急ぐあまり「正法、正師、正義にたいする信」から出発しないで、「とにかく拝めば儲る掛軸」というような物体としての御本尊?を受けるところから始まってしまいました。
寺報1992年9月第142号「無縁の慈悲」には、私達は、大聖人を「法」として申し上げる時は、「上行菩薩の再誕」と申し上げ、その「修行」を示す時は「不軽菩薩の行」と申しております。共に菩薩の世界であります。故に本因の仏と申し上げるのであります。
寺報1992年10月号第143号「救われざる者」には、考え、悩み、思い続けて、仏道を求められ、『法華経提婆達多品』にめぐりあい、その感動の中から大聖人の法華経信仰は出発したと申し上げて良いと思います。
寺報1992年11月第144号「願に生きる」には、大聖人ほど、たえず誓願を立て、その誓願の実現に向かって行動されたお方はないと思います。大聖人の御一生・誓願に生きられた御一生を通して、私達も誓願をおこし、誓願に生き、誓願の実現のために懸命に精進する。それこそが、法華経を信じ、大聖人の流れを継ぐ者の責任でありますから・・・・・・
寺報1993年1月第146号「酉年に思う」には、つまり、そこには三烈士と日興上人、三烈士と大聖人、そして大聖人と日興上人という三重の師弟一箇を含んだ上に、日興上人の当身が戒壇本尊と開顕されたのであります。その意からすれば『御伝土代』の中で大聖人出世の本懐たる戒壇本尊建立が宗祖伝ではなく開山伝の中に記述されているのも、納得が行くのではないかと思われます。
ちょっと備忘録
夜中に思いついたので。ここに記す。川澄勲氏が、六巻抄に蓮祖とあるのは宗祖を憚ったものと書いていたけど、日蓮と白蓮を兼ねているのかもね。