寺報
2020年12月11日
自身で持ってる最古の寺報は1991年8月第129号です。
以下紹介します。
親の徳
日蓮大聖人の「何を」信じているのかが本当は問題。三大秘法の本尊の根幹とは何か。宗祖日蓮大聖人は「末法の主・師・親」。この「主・師・親」の意味。御書によると、経文と対照したときは「主・親・師」。熟語としては「主・師・親」。大聖人御自身の意見を述べる時は「親」が始め。八宗違目抄には、「親の徳」を法身如来としている。これは何を意味しているのか。法身は無始無終。親の徳とは「捨てないこと」。どんな子供でも捨てないということ。
私達は「邪宗教の輩」だとか「謗法の者共」とか「退転者」とか、さまざまな悪口でもって人々を「切り捨てて」きた。それこそが正義で正行だと信じて。でも大聖人は「邪教の輩」「謗法の者共」「退転者」と言われた人々にこそ、南無妙法蓮華経の世界が必要だと示された。
諌暁八幡抄の「一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし」。「日蓮は旃陀羅が子」「逆縁の法」というのもこのお心の現れ。
どうかこの大聖人の「誰人も捨てない」「乃至法界平等利益自他倶安同帰寂光」の信仰に生きてほしい。この心を見失わず南無妙法蓮華経と声も惜しまず唱題されんことを。(要旨)
さて、皆様方に師匠はおりましょうか。こういうことを教わっているから「百日間唱題行」なんてチャンチャラおかしいと思えるわけですよ。(我ながら百日間唱題行は腹に据えかねてるみたい)