存在と時間
2022年04月29日
教育テレビの100分de名著。ハイデガーの存在と時間が取り上げられていました。
第1回目で本来性と非本来性ということが出てきた。そして、人間(存在者)と存在とは何かを問う人間(現存在)がいるとした。
そして、現存在には本来性(自分らしさに従って自分を理解)と非本来性(世間の尺度に従って自分を理解)があるとした。
これを見て、一般的な信心と日蓮正宗の信心との違いにも通じるような気がした。
一般的な信心は、手を合わせて眼の前の(自分とは無関係な) 信仰対象に向かい、自分の願いが叶うように託す。(まあ、反省したり懺悔することもあるのかな)
それに対して、日蓮正宗の曼荼羅(御本尊)に向かうとは、自分のうちに存在するものを目に見える形にしたものに向かうということ(ではなかろうか)。
世間の人がお参りするからではなく、自分を見据えて信心する形になっているなあと思った次第。
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第2回めには世人(せじん)が出てきます。これまで哲学というのは知らずにいたけれど、面白いものだなあと思います。(本を読んでも理解できないだろうけどね。。)
第3回目は「死と良心」。他人のせいにしない。