大石寺と水戸黄門
2021年11月09日
大石寺と水戸黄門は歴史上関係があった、大発見!という話ではありません。残念でした。
子供がテレビの水戸黄門好きで再放送を熱心に見てるんですが。。水戸黄門と印籠は切っても切れません。しかし、印籠を出すのは格さんです。
さて、何が言いたいか分かるでしょうか。
日蓮大聖人を水戸黄門とすると格さんは大石寺であり、御開扉!で有名な戒壇の大御本尊は印籠かなあと。
大石寺で信仰している人は、日蓮大聖人=大石寺=御開扉!と思ってるのかもしれませんが。
そもそも宗祖は大石寺を知りません。残念でした。もちろん水戸黄門と格さんは別人です。
水戸黄門がいなくなったら格さんはどうすべきでしょうか。黄門様がいないのに格さんが印籠を出すのはおかしな話でしょう。水戸黄門あっての印籠だから、印籠は封印すべきです。
これが、大石寺法門P284にある「客殿の奥深くまします本尊」ということではないかと。宗祖がいないのに、御開扉!なんてやってるのはおかしなことだと思う。
テレビのお話だと、黄門様がいなくなっても格さんがニセ黄門様と世直しの旅を続けるという続編も作れるでしょう。
しかし、信仰は作ってはいけません。日蓮大聖人の信仰とはどういうものか考えるべきです。
近年、血脈だ法水瀉瓶だと叫んでいるのは、日蓮正宗・大石寺の管長・法主が現代の日蓮大聖人だと錯覚を起こさせるためでしょう。
水戸黄門と格さんは別人です。