初代講頭について

2023年06月19日

リンク先のBlogは、最近、ちょいと昔の初代講頭の座談会を聞き直して掲載してますが。。

声も張りがあって頼もしい。

まあ、今回は思い出話でも。ざっくばらんに。

初代講頭は戦前から信心してきた人ですが、創価学会、顕正会の会員で、顕正会では支部長でした。自分たちは県外だったけどよく週末は支部へ行ってましたね。自分は引きこもりで、車を持ってなかったので、連れていかれたが正解か。支部長室だっけ、受付みたいな狭い部屋に入れてもらって床に正座して話を聞いたり。当時は怖い人、雲の上の人というイメージだったかな。顕正会だから折伏折伏ですよ。自分たちの県にも座談会ということでよく来られました。

自分は就職して、さあこれからだと思ったら、その年に初代講頭は顕正会を追放されることに。その時送られてきた顕正会からのお手紙は今も持っています。まあ、くだらない内容です。妄想に取り憑かれた者の戯言みたいな。なぜ、追放されたのか。本当の理由はよくわかりません。浅井昭衛会長に疎まれて排除されたのは事実でしょうけど。あまり財務(金)とかに熱心じゃなかったからかな。教学試験もあったけど、それも熱心じゃなかった。信心とは関係ないと言ってましたね。追放されたあとか、やってはいけないことだと。初代講頭によると、浅井甚兵衛氏は、長く女子部長をやっていた方を用いるべきではないと言ってたらしいですが。。初代講頭は浅井昭衛会長の言動に不審を持ったのかもしれません。それと支部には本部と通じている人がいて、初代講頭の話なども東京に筒抜けだったようです。初代講頭が信心についてしゃべったことを浅井昭衞会長が同じことをしゃべってると。。それ以外にも、こんなことを言ってましたよとご注進があったんでしょう。浅井昭衛会長は初代講頭を恐れていたのかもしれませんね。それで排除と。

追放後、初代講頭はどこか所属するところを探していたようですが、仲間には何にも心配するなという感じでしたね。いまの任意団体正信会の御僧侶に縁してからも、しばらくは顕正会の影響で、「住職は国立戒壇(建物)を認めないから」と言ってましたが。。すぐに直りました。

あと、オカルト好きで。自分も「新耳袋」とか差し入れしてました。「水からの伝言」も信じてましたね。御僧侶は否定派。いま気が付いたけど、リンク先の「初代講頭の伝言」というタイトルは「水からの伝言」からきてたのか。

昔の音声を聞いてると、自分も若かったころを思い出しますが。。ああしていれば、こうしていればと思うことばかりです。いろいろ選択肢はあっても、今の自分はひとつしかない。これからも迷いながらいくんだろうけど。最近はほんと臨終のことばかり考えるようになりましたね。

これまで大した病気もせずに来てますが、どんな最期を迎えるか。楽しみなのか。どうか。やはり最後は死ぬんだということを自覚して生きていきたいなあと。

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