信心の原点

2023年08月15日

8月は誕生月であり、戦争に負けて新しくスタートした月ということで。。

信心についても原点に戻ってみようかと。

まずはやはり、リンク先にもある初代講頭の座談会です。

生命論に傾いているという意見もありますが。。

初代講頭が仰っていることはうなずけるんですよね。

なかなか実行というか、忘れてしまっていることばかりで。

自分が珍しく質問したこともすっかり忘れてたとか。。

でもまあ常に妙法蓮華経と行けよということに尽きるのではないかと。

車をガシャンとやった時にあれがどうこれがどうと計算するのではなく、南無妙法蓮華経と行けよと注意されてましたが。

これはテクニックの話で、困ったーという時だけじゃなく、常に南無妙法蓮華経だぞということかな。

そう理解しておかないとまずいと思います。

困った時だけではない。

そしてお世話になっている御僧侶です。

持っている中で一番古い寺報。

1991年8月(親の徳)。これも8月だな。

種々御書を引いて、そこには、経文と対照した時には「主・親・師」。

述語とされた時は「主・師・親」。

大聖人御自身の意見を述べるときは「親」が最初。親が中心になっていると気づく。

そして親の徳は法身如来。無始無終。

これはどんな子供でも捨てないということ。

どうか〇〇寺に縁のある皆様方におかれましてはこの大聖人の「誰人も捨てない」という心、「乃至法界平等利益自他倶安同帰寂光」の信仰に生きて戴きたいのであります。

どうかこの心を見失わず南無妙法蓮華経と声も惜しまず唱題されませんことをお願い致しまして今回のお話しとさせていただきます。

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