信伏随従

2020年08月29日

なかなか聞仏寺サイトに掲載されている文章が愉しいので今週も引き続きです。

信伏随従

文中に、

「五十年に一度の御報恩慶祝の日であるとは言え、宗旨を御建立あそばされまして以来、七百五十年は今年だけであります。実に感銘を深くするのであります。と同時に、何が何でも法華講三十万総登山を完遂成就しなければ、生涯に一度だけの宗旨建立七百五十年を慶祝申し上げたことにはなりません。」

とあります。

三十万という数に何の意味があるのでしょうか。そのうち1億人と皮算用しているのでしょうが。。

続いて、

「爾来、その数に意義を模索したり、詮索をしたり、または「何の意味もない」と軽視誹謗する族があります。軽視誹謗する族は門外漢、不相伝家の嫉視の妄言でありますが、我が日蓮正宗の門家と誇るのであるならば、模索したり詮索する意味は無用なことなのであります。 」

日蓮正宗の門家は、馬鹿の考え休むに似たりだから考えるなということでしょうか。

続いて、

「御指南を信じて随う、御指南に従う、信伏随従することが信心なのであり、日蓮正宗の真の門人なのであります。 もし、この御法主上人猊下の御意に正直な心になれないならば、それは惑障に妨げられた人であり、其の信仰者ではありません。」

宗祖と直接何の関係もない大石寺。その代表者の言うことに従えというのが日蓮正宗の信仰と見えます。宗祖の精神が生きていれば従うことにやぶさかではありませんが。。口は閉じろ、俺のいうことを聞け、ではねえ。

続いて、

「御法主上人猊下の御指南を素直に奉じ行ずることが重要なことなのであり、御法主上人猊下の御指南について好悪の念が生ずることは信心が動ずることになり、終に徳果を得ることはできないことになるのであります。」

何度も繰り返しますが。宗祖と関係のないお寺の代表者が、宗祖と全く関係ないことを口走って、取り巻き連中がそうだそうだと煽る。なんでこういう理屈になるのか。さっぱりわかりません。

続いて、

「宗旨建立七百五十年を、法華講三十万総登山をもって慶祝し奉る御法主上人猊下の御指南を御仏意と拝し奉り」

宗祖と何の関係もないお寺の代表者の意思がなんで御仏意なのか。さっぱりわかりません。

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