信じる

2021年01月23日

「信」という漢字の成り立ちを知ると、思ってたのと違うとなりますが。。

自分が考えるに。人偏に言うだから、その人を表しているんだと思うんだけど。口からこぼれてくる言葉でその人のことがわかる。もちろん、言うんだから相手もいる。信じるとは、自分だけでなく周りの人や拝む本尊も含まれる。

そして信じるとは、見返りは求めない。取引信心はするなと言われますが。。信じるとは利益をくれるから信じるのではなく、そう生きていこうとするから信じる。何があっても信じるということです。だから信じたら何があっても構わない。それが信じる。

もちろん信じるに足る理由は必要ですが。人に金を貸すのもそうでしょう。返ってこなかったら信じた自分が馬鹿だった。もちろん、相手に返す当てがあるのか調べることも大事でしょう。最初から返ってくることを期待せずに貸すということもあるけれど、それは信じるとは別の話。

信じるとは、自分が口にして行動すること。だから何を信じているのかは、その人の言動を見ればわかる。

願い事を叶えてくれますようにと、あちこち周るのは信じているとは言えない。何者かになんとかしてくださいというのは信じるではない。相手が主になっている。自立しているとはいえない。

信じるとは、自分がどう生きたいのか自分で決めること。なんとかしてくださいと生きていくのは、信じるとはいえない。生きるとは信じることです。

自戒。自利利他。

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