仏法と申すは
2022年12月01日
最近は便利なもので、電子図書館というものがあります。
家にいながら電子図書をパソコンやタブレットで読むことができる。
若いころよく佐藤愛子さんの本を読んでいたけれど、久しぶりに「佐藤愛子の役に立たない人生相談(ポプラ文庫)」を借りて読んでみた。
その中の回答の一節に「例えば友達から苦しい話を打ち明けられた人が、ニイチェは、パスカルは、こういってるなどといって励ましても、何の肥しにもならない。苦しんでいる人が求めているのは、素朴な慰め、ない知恵を絞って一緒に解決の道を考えてくれる「真情」なのだということがわかっている人、それが教養ある知的な人なんです。」とあった。
ああ、これが仏法なんだろうなと思った。
「仏法と申すは道理なり。 」です。
ここで「法華経の行者の祈りのかなわぬことはあるべからず。 」で、御本尊様に祈ればなんとかなるよというのは、ちょっと違うなあと。
初代講頭であれば、「まな板の上のコイになりなさい」と言うのではなかろうかと。
御本尊様に祈ったうえで、きれいさっぱりその問題を忘れる。
何とかしよう何とかしようと執着しない。
自分で手が打てれれば打つ。
無理はしない。
何ともならないときは流されてみる。
時を待つ。
自分は困っているんだと開き直る。
正直になる。
そうすると不思議に解決へと向かっていく。
助けてくれる人が現れる。