二者火宅
2020年07月17日
ネットで拾った話ですが。。
日蓮正宗信徒は朝夕に勤行を行っています。そのときに、拝む対象として物体の本尊(曼荼羅)に手を合わす。
そこで問題です。
家が火事になって、御本尊か子供かどちらかしか助けられないとしたら、どちらを選ぶか。
御本尊を選ぶという人が少なからずいるようなのです。こういうのを「人でなし」と言います。こういう人がいるから宗教とか信心を毛嫌いする人がいるのでしょう。
自分が子供だったらどうでしょう。焼かれる自分を尻目に御本尊を抱えて逃げ出す親。絶望しかないですよね。
本尊の捉え方が間違っていることから起こる悲劇です。印刷された本尊と人の命・仏種のどちらが大切か。アタリマエのことがわからなくなっているのです。これを人生に迷うといいます。
御本尊様に助けてもらおうという感覚でいるから、こういう誤りを生じます。信心は人として当たり前のことが前提となって考えられなければなりません。
宗教が神秘主義に陥るとおかしなことになるという例です。