久遠名字の妙法

2021年04月24日

自分の一念心が万法の総体なんだと。すなわち大宇宙法界(地水火風空)と変わりがないじゃないかと、即座に開悟する。これが南無妙法蓮華経と題目をあげること。これに気が付いた時が久遠名字の妙法。即身成仏。自分というものが大宇宙法界に生き生きと羽ばたいていることに気が付く。日常の問題はちっちゃなものになる。そうなってくると自分の一念心が定まっていないといけない。これが戒。行動が始まってくる。恵。開目抄は自分が生活していくうえで誰の恩があるのか教えてくれている。 戒定恵の三学が分かってきたら相手のことも考えなければならない。

「仲良くするのが信心ですよ。」と住職さんが言われる意味はここにある。

初代講頭座談会(2005年4月6日)より。

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車を運転するときに、よく飛ばすんですが。。飛ばしていると周りの車のありようが気になります。追い抜いて行った車に追いついたときは追い掛け回したり。。左車線から抜かれて前に出られたときは車間を詰めてみたり。。等々。ところが、次に左折しないといけないときは早めに大人しく左側を走ります。そうすると周りの車の挙動は気にならない。マイペース。人のことが気になるのは怒ってる時ですかね。気にならないのは穏やかな時。戒定恵の三学にも通ずるような。周りに影響されるのではなく、自分の一念心を定めて行動することが大事ですよと、初代講頭も教えてくださっています。

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おまけ。のほうが長いけど。。同座談会から。

昔は宗教はアヘンいうて、意志の弱い人がやるものだといわれていた。そうじゃない。正しく自分が生きていこう。正しく世の中を渡っていこう。幸せな世の中に自分がしていきたい。と思ってやっていく。そこには強固なものがなければできない。オカルト的な呪詛的な拝んだら何とかなるというものではない。(日蓮)大聖人の仏法は自分自体がやり抜くぞと、力強く決意できる自分になっていけということを教えている。それができなかったら何をしても無駄だ。こういう話を聞いて、自分がどうとって、日常生活でどう使っていくかが大事。自分が実践してこうなりました。確かにこの通りになりましたと。それが分かって初めて人さんにこうやって御覧なさいと話ができる。それまでは言わないほうがいい。自分たちは知恵がない。大聖人様がああせよこうせよと仰っていることがあるんだからなぜそれをしない。大聖人は南無妙法蓮華経と題目をあげることが知恵だと仰っている。自分のここ(頭)だけで一生懸命考える。そんな愚かなことをしてはいけない。根底に南無妙法蓮華経という法をたもっている。妙法蓮華経の知恵をもって生活していく。万法の総体になった行動が始まる。信じ切って行動したときにはそうなる。問題は全部乗り越えられる。道は必ず開く。どんな境涯であろうとも楽しい楽しいと乗り切っていける。

戒定恵の三学を忘れてしまうと日常の生活はいろんなことが起きてきて自分たちがまきこまれてしまう。南無妙法蓮華経と題目をあげても意味がなくなってしまう。モノを大事に思えるのも戒定恵の三学を知っていればこそ。自分の生命と大宇宙の生命と相等しい。何ら変わりはない。ということがわかってきたらモノは大事にしよう。感謝しよう。人さんも大事にしていけれる自分に変わっていく。当然のことじゃないかね。大聖人様が教えていらっしゃることはこういう大事なこと。

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