不軽菩薩と日蓮
2024年02月11日
自分なりに日蓮正宗の信心を考えてきて、一つの到達点が「宗祖と不軽菩薩が礼拝し合う姿」だと思っているわけです。
ここに信じる人も信じない人も成道する世界がある。もちろん平和も。
撰時抄の「建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいて、彼らが頸をゆいのはまにて切らずば、日本国必ずほろぶべし」というのは、不軽菩薩を悪口罵詈した四衆の立場でものを言われてる。だから本心ではない。(首を切るとは施を止めるという意味ですよね)
こう理解しないと、御書にあるじゃないかと過激になってしまう。
聖人知三世事にあるとおり宗祖は不軽菩薩の跡を継がれました。
それに反する言動は、悪口罵詈した四衆だと思わないと。
土木殿後返事の「諸の悪人は又善知識なり」が本心です。
日常生活においても悪口罵詈する人は四衆です。
これでは、私は日蓮正宗の信心をしています、とはならないでしょう。
日蓮正宗系の組織に入ると、教わるのが謗法です。
これにより他宗教は邪教になり、教祖は地獄に堕ちたことになる。
最近になって、やっと他宗や他宗の信者さんを普通に見られるようになったかなと感じます。
同じ組織の人間だけが仲間ではありません。
すべての人が同じ時代に生きる仲間でしょう。
好き嫌いはあっても。
組織に入るとマトモに人を見ることができなくなる。
要注意です。
仏教では八正道が説かれています。
自分は日蓮正宗だから関係ない。
御本尊様だけ信じていればといいんだと思っていませんか。
まあ、御書を検索しても八正道は出てこないか。
でも十四誹謗は出てきます。
真蹟はないようですが。
松野殿御返事を拝読して味わってみてはいかがでしょう。