一座建立
2025年05月06日
以前にも書いた記憶はあるけれど、一座建立。
マンガの「へうげもの」をよんでると利休との絡みの中でこの言葉がでてきます。
茶湯(ちゃのゆ)でも使われるのかと勉強になりました。
こちらが本家本元らしいけど。
日蓮正宗で建立といえば国立戒壇建立ですかね。
顕正会だけか。。
戒壇の大御本尊建立といえば宗祖が昔御本尊をつくったことですよね、と思いがちですが、信仰ということからは一座建立という考えに近いのでは。
主客がそろわないと。
御本尊の前、御本尊と手を合わせる私たちとの間に仏が出現するというようなことを御住職からきいたことがあるけれど、一座建立でしょ。
御本尊だけが存在しても意味がないんですよ。
信仰がなければ曼荼羅でしょう。
手を合わせる人がいて御本尊様。
不軽菩薩が一切衆生を礼拝したように生きていこうというのが宗祖の曼荼羅でしょ。
そして、信仰があって御本尊と自分との一座建立がなる。
そして同じ思いの人が寄り集まり、そこにも一座建立がなされると。
信心しろ、信心しろと、言われるよりも、よっぽどスッキリしてすんなり腑に落ちる。
これが信仰だと思っています。