一味平等
任意団体正信会の大会があったようです。参加していませんが。。
お世話になっている御僧侶が挨拶した中で、上行菩薩即ち日蓮大聖人を大将とする一群、差別の大地を割って、一味平等の世界を現出された、とあります。
続いて、名も知らぬ菩薩とは、今御本尊を信じて、南無妙法蓮華経ととなえ、信謗を問わず、すべての人々の成道を祈念している皆様をはじめ私たち自身のこと、とあります。
このサイトで、御本尊様に手を合わせる者は不軽菩薩だと言っているのは、こういうことです。
今日は7月16日でしたか。
また立正安国論に関することでも書きますか。
まだ思いついてない。
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追記
御本尊について。
二面性があるなあと思っていました。
御本尊に向かう人は、日蓮大聖人と不軽菩薩が礼拝しあう姿と心得るのが大事という思い。
まったく平和です。
そして、戒壇の大御本尊。
これは熱原の法華三人衆が命に及んだ時に南無妙法蓮華経と唱えた、一言接尽(いちごんしょうじん)の題目が昇華した御本尊。
血なまぐさい。
別々に考えていましたが。
宗祖日蓮は佐渡に流されたとき開目抄に「日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頸はねられる」と書いています。
首をはねられた、と書いてるわけです。
これは観念の上で、あるいは覚悟を示したということでしょう。
不軽菩薩は首を切られることはなかったけれども自分は切られたんだ、確かに不軽菩薩の跡を継いだんだ、という思い。
そして、熱原の法華三人衆。
こちらは現実に首を切られた、命に及んだ。
その時に唱えた題目は、首を切ろうとした平左衛門をも救っていこうとする題目だったと日蓮正宗では捉えるわけでしょう。
不軽菩薩の筆頭が宗祖日蓮であり続いたのが熱原の法華三人集です。
自分に危害を加えようとする人を南無妙法蓮華経と礼拝した。
不軽菩薩そのものでしょう。
戒壇の大御本尊が、熱原の法華三人衆の一言摂尽の題目が昇華したものだとすると、戒壇の大御本尊に向かう人は平左衛門かもね。