よく

2024年07月24日

立正安国論に始まり立正安国論に終わる、と言いますが。

最初の立正安国論と最後の立正安国論は違うはずです。

それは折伏。

最初の立正安国論は国主に提出されたもの。

最後の立正安国論は、入滅に際して池上邸で講じられたという伝説からですが。

最初の立正安国論は国主の威光勢力による力の折伏でしょう。

最後の立正安国論は佐渡流罪を経て不軽菩薩の折伏です。

諌暁八幡抄に説かれるがごとく。

「末法には一乗の強敵充満すべし、不軽菩薩の利益此れなり。各々我が弟子等はげませ給へ、はげませ給へ」です。

将来、日蓮正宗が国教になる日が来ても、力の折伏はあり得ない。

隣人のイスラム教徒にも手を合わせて、日蓮大聖人の仏法とは信頼の世界なんだと説くはずです。

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国防なくして安国なし、という主張もありますが。

日蓮の弟子がこのような主張をなすのは理解できません。

立正安国論に託けた手前勝手な主張です。

宗祖日蓮が兵力を増強しようと訴えたでしょうか。

信仰世界と現実世界を対比して、現実世界を優先すると本末転倒します。

師匠はこわいから、我々はやわらかく法を説くのだ、と言ってるようなもの。

信仰世界に現実世界を近づける努力を宗祖は我々に求められていると思います。

信仰者は何よりも信仰世界を大事にすべきです。

「末法には一乗の強敵充満すべし、不軽菩薩の利益此れなり。各々我が弟子等はげませ給へ、はげませ給へ」です。

国防に励んでも安国も平和もありません。

不軽菩薩の折伏行で信頼の世界を築いていくしかないんだと宗祖は主張されています。

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これまでもあちこちに書いていますが、立正安国論は客と主人の問答形式です。立正安国論にあるからと客の言葉を用いるのは控えましょう。



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