どう取り組むか

2023年04月10日

白米一俵御書

爾前の経の心々は、心より万法を生ず。譬えば、心は大地のごとし、草木は万法のごとしと申す。法華経はしからず。心すなわち大地、大地則ち草木なり。
爾前の経々の心は、心のすむは月のごとし、心のきよきは花のごとし。法華経はしからず。月こそ心よ、花こそ心よと申す法門なり。


初代講頭座談会

大聖人様の教えは逃げる教えじゃない。自分の境涯が変わったら自分が変わると、こう思う。これは逃げてる人の考え方なの。自分の境涯が変わったらじゃない。自分の境涯を変えるのは自分しかない。これが逃げた人じゃないの。自分の現在の境涯をよい境涯に変えようとしたら、まず自分自体が変わるしかないと、こう見たときは大聖人様の教えなの。でも、たいていの人は、こんな境涯だからこんなになって、こんな問題が起こって、境涯が悪いから自分がこんなになってると思う。謗法の人が月を見たら、あの月はきれいですね。桜を見たら桜がきれいですねと言う。大聖人様は違うと仰る。お月さん自体が自分でなけりゃいかん。桜の花そのものが自分でなけりゃいかん。これが大聖人様の教えなの。  

問題があったら、一生懸命拝めば、こうなるかもしれない。これは逃げてる人。それをどう料理するかということがこちら側のありよう。逃げてしまうのはしやすいこと。創価学会や顕正会は逃げることを教えている。拝んでみなさい、功徳がでて、こうなるから。これは逃げることを教えている。別に浄土があると思っている。いいところがあると思っている。大聖人様はそうじゃない。ここが霊山浄土ですよ。今置かれている立場が幸せな境涯なんだ。そういうふうに自分が見ていかなければならない。逃げる場所はどこにもないの。今置かれている立場そのものが幸せな境涯なの。それを幸せと取ることができないのは自分の誤り。 

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これまでどうも、「生かされている」ということを聞いても、いまいちピンとこなかった。初代講頭の話には、生命と宇宙ということがでてくる。仏教はそんなこと説いてないよと言う人もいるかも。。生命は宇宙から生まれた。死ねば宇宙に帰る(還る)だけ。

そして、上記の御書と座談会。「月こそ心よ、花こそ心よ 」とはどういうことかと思っていた。逃げる場所はどこにもない。今いるところしかない。ここにいることが幸せなんだ。病気だったりケガだったり、なかなか思うようにいかない人生ですが、今ここに「生かされて」存在しているということが、奇跡であり幸せなことなんだと。そして、ボーっとお題目を唱えるのではなく、自分が問題とどう取り組んでいくか。それが重要なんだ。

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