どう信心するか2
2022年02月12日
いきなりですが。。
「大阪 下町酒場列伝」著者・井上理津子
P178から引用。
「元は富山で造り酒屋をしていたんですが、親父が三つくらいのときに、ま、ちょっと逼塞して、大阪へ出てきたんです」とは大正時代の話。上川さんの父親、興右衛門さんは、小さいころから北区の酒の卸屋に奉公した。「夜中にも、難波まで大八車を引いて往復」するような過酷な労働に耐え、「えらいな。がんばりや」と、得意先から「おため(金一封)」をもらうほどの仕事ぶり。十何年間黙々と働き、奉公先から店を継いで欲しいと言われるも、ためた五百円ものおためをお礼に渡し、昭和の初めに独立。今と同じ場所で、酒の卸店「上川酒店」をはじめたのだという。
この話のほうがよっぽど信心のような気がする。地獄に落ちるぞ!と触れ回る人よりも。。正しい組織に所属しているから正しい信心をしているから、何をしても言っても免罪符があると思っている。。ローマ・カトリック教会か!
宗祖日蓮大聖人は、まず清澄寺で題目を、佐渡で本尊を、熱原法難で戒壇を、というバラバラ説があるようですが。。報恩抄にある「日蓮が慈悲広大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし 」との確信を持ったのが熱原法難だと思います。師弟相寄って三大秘法はここに成就した。
法蓮抄の「(立正安国論に書いた)彼の法師原が頸をきりて鎌倉ゆゐの浜にすてずば」というようなことは、三大秘法が成就する以前の言動だと思わなければ。
諌暁八幡抄の「不軽菩薩の利益此れなり、各各我が弟子等はげませ給へはげませ給へ」が三大秘法が成就したのちの弟子を自認する者の姿勢です。
不軽菩薩が人を脅して回るとは。。世も末です。