いやし

2023年04月15日

リンク先の大白法の記事を読むと、どうも卑しいなあと感じました。

みなさんはどうでしょう。

「広布のお役に立てる人材 」なんて、持ち上げていますが。。

これを書いた人は、信者はお寺のために新たな信者を獲得するための道具だと思っているのでしょう。

いやしいなあ、というかいやらしいなあ。

「現世の幸福よりも来世の成仏を祈るべきであると御指南になられ 」ともあります。

死んで成仏でいいんですか。

現世の幸福はあきらめて、お寺の金儲けのために信者を増やせ。

そうすれば来世で成仏できるぞ。

宗祖は富木尼に信者を増やすのが仏法だと説いたのでしょうか。

「妙常尼は、後に房州を離れ、故郷の富士重須に帰り、日興上人のもとを訪れ」とあるけれど、重須にいる息子たち(日頂上人・日澄師)を頼ったと普通は解釈しますよね。(富木尼が重須に帰って二人の息子が後からやってきたのであれば書かれてるとおりかもしれない)。

なんで日興上人の名前を出すのか。

仏法を己のために利用する。すり替える。曲げる。

謗法でしょ。

富木尼御前御書


「いやし」で検索して反省してみるのも一興かと。

日蓮大聖人御書全集 検索

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※日蓮正宗は生きて成仏、死んで成仏と習っています。

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