己心の本尊
2024年02月21日
観心本尊抄に「答えて曰わく、観心とは、我が己心を観じて十法界を見る、これを観心と云うなり」とあり「かくのごとき仏陀、何をもって我ら凡夫の己心に住せしめんや」とあることから、我ら凡夫の己心、一人ひとりの己心に仏陀、すなわち本尊が存在すると宗祖は主張されています。
この本尊も日蓮大聖人の信仰をする人には二つあるのではないでしょうか。
ひとつは、日蓮正宗という宗教としての本尊。
これが戒壇の大御本尊と呼ばれるものです。
この本尊は熱原の三人衆の己心に仮託して誕生した本尊です。
もう一つは、当たり前ですが、自分自身の己心に存在する本尊。
今は、こちらの本尊はなおざりにされているようです。
不軽菩薩が一切衆生を礼拝したのは自分の己心の本尊を確認した上でのことでしょう。
本尊とは、根本尊敬です。
手を合わせてお願いするものを本尊とは言いません。
お母さん、小遣い上げてとか。
社長、給料上げてとか。
どちらも金がらみですが。