令和3年を振り返って
もう師走。
子供が5月に腕を折って重傷を負ったこともすっかり忘れ。。
もとの生活に戻っていますが。。。
考えてみると、宿命の転換というか宿命の打破というか。罪障消滅ができたのかなあと。何をしたというわけでもないですが。
後年、今年はすごい年だったなあと思い返すかもしれません。
リンク先の「初代講頭の伝言」にありますが、「過去の業報によって自分が痛めつけられる。子供が子供がと言ってもそれは自分の業報なの。人によって(業報の)姿を見せられる」とか、「妙智とは自分じゃ分からん。それが智惠であることは。分からんけれども、こうしようかなと思うことが誰かにやってもらっているし、手を打てれないなあと思っているところに誰かが来て手を打てれるようにしてくれるし、あそこへ行かんといかんがと思っていたら誰かが行ってくれているし。事実として不思議なように何回も何回も繰り返し起きてくる。これが妙法蓮華経の不思議さよ」ということを体験したように思う。
そもそも、帰宅すると誰もいない。妻に電話すると子供が腕を折って救急車で運ばれ病院にいると。この時点では、どの程度のケガかも知らず。
妻は自分の車で運ぶつもりだったので、まずは近くの現場に置き去りにされた車を回収。その後、悠々と腹ごしらえをしました。お題目を唱える。
妻からそろそろ病院に来ないかと催促の電話があったので腰をあげる。
病院に着くと、ベッドで横になってる子供に声をかけた。半分はったりだったけど。。「何ちゃ心配することはないぞ」と。
話を聞くと、手術するが執刀医や手術室の関係で、まだあとになると。
手術かと。やっとこの時点で大変なことだなと。子供は腕が折れたままの状態でほぼ放置。痛かったろうなとは思う。はやく手術してほしいと、手術に救いを求めてましたね。
結局、ケガから3、4時間後くらいに手術開始。で、手術中に執刀医から言われたことを妻から聞くと。4、5年に一度見るかどうかのケガだと。腕が治ったとしても今度は足にきて普通に歩けなくなるかもしれない。(いまいち理屈が分からないけど。。)ということ。
手術は2時間程度で終わり。もっと時間がかかるかと思ってた。
指も動いて問題なし。1週間ほど入院。
退院しても、腕は外側から補助する器具を骨につないでる。学校へは手で引く荷車を自作して荷物を入れて、自家用車で送り迎え。超音波骨折治療器なんてのも毎日やってた。
そして腕から器具を外す手術して、外れたらリハビリ開始。特に問題なく終了。
本当に丸く収まったものだというか、角一つ立ってない、トゲ一つ立ってない状態です。
困ったときには助けてくれる人が現れるというのも不思議なものです。
そもそも骨折したときに消防署の人が仕事を終えて帰宅していて、骨折の音を聞いて駆けつけてくれた。(滑り台から落下した。。)で、応急処置をしてくれた。(これ以上はないという仏様の人選です)
執刀医も自分から見ると、仏の使いですよね。本人にはそんな意識はないんだろうけど。。
妻は別の外科の病院に運ぶように救急車でお願いしたようですが、コロナの関係もあり思うようにならなかった。
で、腕につけた器具もたまたま空いてたようで。他の人が使ってたらアウト。
本当に不思議な結果ですが、子供は相変わらず水戸黄門見たり動画見たり。成績は振るわないまま。少しは勉強しろよと思う。