阡陌陟記、大石寺法門


阡陌陟記(せんぱくしょうき) 1991年6月30日発行 
大石寺法門 1996年4月25日発行
著者 川澄勲
発行所 オレンジ出版


顕正会時代の信仰から脱出できたのも川澄勲氏のおかげ。日蓮正宗の宗旨を考えてみてください。
戒定恵とは、久遠元初とは、一閻浮提総与とは、己心とは、信の一字とは、広宣流布とは何か。宗祖は考えられたはずです。あなたは考えたことがありますでせうか?
謗法だ謗法だと嫌わずに、いろいろなものに触れて考えることです。宗祖もそうしたはずです。そうじゃないと、独善本門戒壇の大御本尊を信じることになります。


注:2冊の中に出てくる御伝土代は、6世日時上人の著で4世日道上人よりも50年時代が下ると御僧侶からは伺っています。

注の注:チューチュー。日時上人は日目上人御伝土代?日道上人はどうなった?御伝土代は三師御伝土代?寺報2020年7月第477号には、「これまでは御伝土代は、日道上人の著作とされていましたから宗祖の御聖誕を年号は不正確でも道師の書き物に貞応元年二月十六日とあるのが目安であったものが、御伝土代は日時上人の書き物であることが確定され、五十年下がり、一四〇〇年代のものとなります。」とあるんだけど。御伝土代=三師御伝土代で、日目上人御伝土代は御伝土代の日目上人の部分だけかな?御伝土代の全部が日時上人というのが確定されたのなら検索すれば出てくるはずだけど。御伝土代は日道上人というのが圧倒的。

注の注の注。チューチューチュー。御伝土代は史伝書ではなく法門書というのが川澄勲氏の主張。

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日目上人御伝土代

日道上人 三師御伝土代

日目上人の御生涯

日蓮聖人の伝記について

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