宗祖曼荼羅
日蓮が書いた曼荼羅のこと。この曼荼羅に不軽菩薩の名は書かれていません。曼荼羅は宗祖が不軽菩薩を礼拝する姿を文字で表現したものだと思います。そして、この曼荼羅に手を合わせて南無妙法蓮華経と唱える人は不軽菩薩。日蓮大聖人と不軽菩薩が礼拝し合う姿です。 同時に師日蓮と弟子という姿でもあります。(日蓮日興、日興日目であるならば、日目(一閻浮提之御座主)私、かもしれない。現実的には僧侶私、かな)。
己心の法門、師弟子の法門、互為主伴も、スタートは師不軽菩薩弟子日蓮だと思います。(川澄勲氏の説では、まだ、師釈尊弟子上行菩薩、師上行菩薩弟子不軽菩薩がある。法としては、釈尊上行日蓮日興かも)。崇峻天皇御書の「不軽菩薩の人を敬いしは、いかなることぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞いにて候いけるぞ」。不軽菩薩は人です。仏ではありません。人である不軽菩薩を師匠に定めて日蓮は弟子になりました。初めて不軽菩薩を礼拝する人が現れました。これは己心の中の出来事です。観心本尊抄の「仏、既に過去にも滅せず、未来にも生ぜず」や観心本尊抄副状の「三人四人座を竝べて之を読む勿れ」、弁殿御消息の「互為子弟歟〔互いに子弟と為らん歟〕」も腑に落ちます。
初めて不軽菩薩と礼拝し合った人としての喜びと自負が、曼荼羅の讃文 「佛滅度後二千二百三十余年之間一閻浮提之内未曾有之大曼荼羅也」だと思うわけです。
そして、このときの南無妙法蓮華経が一言摂尽の題目でしょう。
追記
川澄勲氏の阡陌陟記には、
「上行所伝の妙法に南無するのは不軽の行によるところであるし、本尊の中心の南無は不軽の行で妙法蓮華経は上行所伝の本法であり、日蓮花押は体具の意味である。不軽菩薩が本尊の面に載せられていないことも少し考えてみては如何であろうか。あまり馴れ過ぎて気が付いていないのかもしれないが、ここらあたりに師弟一箇の法門の原型が秘められている。」
「五字とは上行、七字とは不軽である。五字に南無を加えて七字となる。この法行二人をもって法華経は尽くされている。上行は師、不軽は弟子、宗祖はここのところをとって、法華経とは師弟子の法門であるというふうに解されているように思われる。」とあります。
追追記
大石寺法門P357。大石寺では信の一字をもって得たりという信を信心に固定して、肝心の信頼は七百年後には奇麗さっぱりと消え去ったようである。これなどは不信の輩といえないであろうか。信心は宗教の中にのみあるもの、信頼は仏法にも世間にも共通するものである。そして本因の本尊は人が社会生活をする中で最も大切なものを、宗教に准(なぞ)らえて示されたもの、仏法の根幹をなすものである。本尊の名義を假りて示されてはいるが、即ちそれは信頼を明示されているのである。それが今は仏教と混同して考えられて、そして次第に仏法が薄れて来ているのである。信の一字をもって得たりということは仏法の意を示されているのである。日蓮の思想の根源は信頼におかれているのであろう。この信頼は宗教の本尊以上に、遥かに変ることなく続いてゆくものではなかろうか。人と人との触れ合いの中における信頼感には恐らく永遠の生命を持っているであろう。久遠の長寿である。そのようなものを示されているのではなかろうか。
↑このことから、信頼の世界=日蓮大聖人と不軽菩薩が礼拝し合う姿、を導き出しました。
追追追記
妙徳院だより2023年10月第106号では、上野殿御返事や日有上人などを引かれて、余事余念のない題目、ただ南無妙法蓮華経を信受することだけが大切なんだと訴えます。法華ごころP242には「大聖人の仏法において、しなければならないことは南無妙法蓮華経を信ずること、してはならないことは南無妙法蓮華経を放棄し毀(そし)ることに尽きる」とあります。信心してない人や初信の人が読めばサッパリ理解できない。頭から信じろと強制するのか、無茶苦茶だと思うかもしれません。が、これも御本尊に向かう私たちが不軽菩薩だとすると二十四字以外の余念があるはずもない。余事余念なくとは不軽菩薩のことです。そして南無妙法蓮華経は信頼の世界です。宗祖と不軽菩薩が初めて礼拝し合った喜び、それをそのまま自分の喜びとして弟子が受け止め、南無妙法蓮華経と御本尊に手を合わせ喜びを分かち合うのはあたり前田のクラッカーなのです。