宗教とは
神社でお金を放り投げて願いを祈ってみたり。
交通安全のお守りを買ったり。
手をかざすと病気が治りますと言われると、ちょっぴり信じてみたり。
ツボを買ってみたり。(2022年7月追記)
自分がしたことなのに天罰が下ったとか。天誅とか。。
異教徒は迫害するとか。
誰かがつくった天国を夢見たり。
誰かがつくった地獄に怯えたり。
それが宗教かな。
宗教は生活と一体でないと。
信心したら願いがかなうとか。
それは宗教ではなく妄想です。
宗教を信じる側にも問題があるのでは。
あれがいいとかこれがいいとか。
あそこがいいとかここがいいとか。
あなたは何を拝んでいるの?
南無阿弥陀仏はどういう意味?
何かに何とか何してもらおうという信心では、救いはないと思う。
自分の人生を、人任せにすることなく、他人を恨むことなく、神様仏様を頼ることなく、神仏のせいにすることなく、生きられるのが宗教だと思う。
これは自分の思うがまま、好き勝手に生きるとか、人生は自己責任とは違う。
仏教は報恩行です。恩を知り恩を報じる。いまの自分があるのは周りの様々な過去から現在・未来の人たち、環境によって成り立っている。
過去現在に感謝し未来に希望をもつ。
感謝するのが仏教です。
自分の願望を実現することではありません。
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造物主がいるのかいないのか。阿弥陀仏がいるのかいないのか。
一般的な宗教は、力のある何者かに救ってもらうものです。
まあ、いるかいないかは置いといて。。
誰かに何とかしてくれと祈るのではなく自分が主になって行動するのが宗教ではなかろうか。
平和のためには自分がどうするのか。
愛のためには自分がどうするのか。
成仏のためには自分がどうするのか。
その時に、自分一人ではどうにもならないということに気がつく。(逆説的ですが。。)
自分と他人、自分と環境。
法華ごころP260には、「法華経で説かれる一念三千成道論が、〜中略〜自身一人での成道ではなく、他者との関係において成道を見ていく点にある。」とあります。
そして、リンク先の初代講頭の伝言に次のような言葉があります。
「神仏というものはおらん。おるとオカルトに変わってしまう。我々が思っているような神様や仏様がいるわけではない。実際にあるのは妙法の体である地水火風空の五大しかない。 」
「みんな宗教というものは助けてくれるもんだと思ってやっている気がする。その気持ちがある限りはオカルトじゃ。正しい仏法によって自分の生き方がはっきりする。この生き方を以てやっていくのが大聖人の仏法だと気が付かなければならない。
」
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信仰は南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経の2種類があると思っています。(神道やキリスト教やイスラム教も南無阿弥陀仏に含まれると思っている。単純すぎるか?)南無阿弥陀仏は阿弥陀さん何とかしてくださいという信仰。それに対して南無妙法蓮華経は法に生きようとする信仰。自分が主になること。自らが仏を志す。大慈大悲。人は仏。言動に注意する。八風に犯されず。拘(こだわ)らず、さっぱり生きていく。
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お世話になってる御僧侶の宗教についてです。
宗教って?