南無妙法蓮華経とは

この世は存在の世界。
すべての存在を肯定しよう、尊んでいこう。
それが南無妙法蓮華経の意味です。
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御僧侶に教わったことを基に自己流解説です。







南無は信じる。
妙法は生命・自然・宇宙・存在。
そして、蓮華の上に妙法がある。ハスの上にいらっしゃるのは仏様。すべての存在を仏様のように尊んでいこう。
経は生きていく。
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あるいは。

無 太陽

法 動物

華 植物
経 大地(大きな地球)
どうでしょう。
大地を割って植物が現れ太陽の恵みを受けて生物が栄える姿をあらわしている。
地涌の菩薩は植物だったんですね。知らなかった。
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日蓮正宗の本尊は「南無妙法蓮華経日蓮」です。これが「南無妙法蓮華経日常」とかになると新仏誕生ということに。経が大地とするならば地涌の菩薩は日蓮です。住所は地下。これが天に昇って(己心から外に出して)しまうと太陽と同居して、無になってしまうということかもね。
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宗祖はどういう形式で勤行(読経)していたんだろうと思うんですが。決して宗祖は曼荼羅に手を合わせてはいなかったと推察します。宗祖が曼荼羅に手を合わせたらギャグになってしまう。(「南無妙法蓮華経日蓮」に宗祖が手を合わすと、ダブってる気がする)。そして、弟子には「南無妙法蓮華経日蓮」の曼荼羅を与えた。「南無妙法蓮華経日興」とか「南無妙法蓮華経日郎」の曼荼羅は与えてないと思います。未確認。。南無妙法蓮華経と唱えるのは自分ですが、「南無妙法蓮華経自分」になってしまっているお題目が現代では多いのではないか。それが、お題目を唱えると幸せになれますとか願いがかないますということ。自分勝手なお題目では。。「南無妙法蓮華経日蓮」のお題目じゃないと功徳はない。御利益じゃないですよ。

注1 月満御前御書(真蹟なし)には「これまた御本尊・十羅刹に申し上げて候」とあるなあ。宗祖は御本尊に手を合わせていたのか。。(まだ納得いかない)。続き。日蓮大聖人御書システムのサイト。コラム「四条金吾の家族」では同御書は疑義濃厚とありますな。一安心。

注2 寺報2009年10月(お目通りする?)には、本尊と曼荼羅は別物という説明の後に「では宗祖御在世当時はどうであったでしょう?仏像を安置して曼荼羅を左右に掛けたのでしょうか?曼荼羅のみを正面に安置されたと思います。」とある。宗祖御在世当時が主語で、宗祖が主語ではないけれど。

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追記。阡陌陟記P228に「八品隆師の本門弘経抄(真蹟現存)には、大石寺が、曼荼羅を奉掲せず、中央に日蓮大士の像を祀っているのは謗法中の大謗法だというような事を記しているが、これは有師と同時代の記録であり、当時は中央に宗祖向かって右に開山左に目師という貌は出来上がっていたのではないか」とあります。。曼荼羅どこ行った?秘蔵していたというのが妥当か。己心に。宗教としては格好がつかないので、そのうち現実の蔵に秘蔵となり、現在では、御開扉!。大石寺ってサービス満点のお寺だよね。見世物にしてるのかも。。でも金も取れる。これでいいのだ。いいのかなあ?

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